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■CHANEL(シャネル)

ココ・シャネル、本名ガブリエル・シャネル。彼女は1883年8月19日にフランス南西部ソーミュールの救済病院で生まれました。その後、孤児院で恵まれない時代を過ごしますが、そのときに築かれた自立の精神「自由」が彼女の生涯を通じての信条となります。
ココとは彼女の愛称で、お針子として孤児院を出た後、踊り子を志して田舎町のキャバレーで踊っていたころにつけられた愛称です。その後、英国の青年実業家と知り合い、彼のバックアップを得て、1910年パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」なる帽子屋を開店しました。
飾りのないシンプルな帽子は人気となり、店は大成功を収めました。第一次世界大戦が始まると、南フランスの港町ドーヴィルに移り、パリから疎開してきた人向けに洋服を作り始めます。安いジャージ素材のシンプルで着心地がよく、むだのない服は大評判。「ハーパース・バザー」誌で取り上げられ、新時代のクチュリエ(オートクチュールのデザイナー)としての実力が認められました。
シャネルの斬新なアイデアは男の服装をヒントにしています。「どうして女は窮屈な服装に耐えなければならないのか」シャネルがずっと感じていたことでした。英国紳士服の仕立てや素材の素晴らしさを女性の服に応用したのが有名なシャネルスーツです。ネイビーと白のマリンルックも水兵のユニホームがヒントになっています。これらシャネルの服作りに一貫している姿勢は、男に支配される女を徹底的に排除し、女のからだと心を解放しようとする新しい試しみでした。
ココが87歳で永眠した後を引き継いだのはカール・ラガーフェルド。ファッション界きっての才人といわれる彼は自分の名を冠したブランドをはじめフェンディやクロエのデザイナーとしても知られています。
シャネルのデザイナーとして、ココのポリシーである「古い価値観にとらわれない女性像」を守りつつ、新しいシャネルブランドを築いたのです。リッチなマダムの衣装というそれまでの固定観念を打ち破り、一気に若返らせたのも彼の手腕です。今後のシャネルの行方がとても気になりますね。

■Dior(ディオール)

クリスチャン・ディオールは1905年、フランスのノルマンディーで裕福な実業家の家に生まれました。外交官を志して、政治学院に学ぶが、在学中に当時、台頭していたシュールレアリスムに魅せられ、友人と画廊を開設します。ダリやコクトーなど多くの芸術家と親交を深めますが、30年代の恐慌に見舞われ失職します。このとき、友人からデッサンを習い、1938年、ロゲール・ピゲに見込まれてモード界に入ります。後に、ルシアン・ルロンのメゾンへ移りますが、46年、マルセル・ブサックと出会い、12月にクリスチャン・ディオール・オートクチュール・メゾンが誕生しました。ブサックは、繊維業界で成功した大富豪で、当時「コットン王」と呼ばれていました。ディオールはプサックに「エレガントな女性と最上級な女性のためのクチュリエになりたい」と語ったと伝えられています。この時、ディオールがプサックに会いに行く途中、ディオールは道に落ちていた星型の馬車の部品につまずきます。それを拾って、ポケットに入れたままメゾン設立の夢を語った。以後、星はディオールののラッキーモチーフとなりました。
47年、ディオールは初のコレクションで「コロール(花冠)ライン」を発表します。これを、ハーパース・バザール誌の編集長カーメル・スノウが「ニュー・ルック」と呼び、この名前が広まります。ニュールックは、丸みを帯びた肩に胸、ウエストは細く絞られ、スカートは布を贅沢に使い(戦後すぐでモノがあまりない時代に)、ペチコートで膨らませたラインが踵まで伸びる女性らしさを引き出した華麗なスタイルでした。シャネルによって機能的な美しさがアピールされた後に、ディオールはフェミニンな美しさを改めて強調したのでした。
また、1948年にはアメリカにおいてライセンス生産を開始します。アメリカに「クリスチャン・ディオール・ニューヨーク」という別会社を作り、そこがニューヨークの靴下会社プレスティージ社と契約し「クリスチャン・ディオール」ブランドのナイロンストッキングの製造を許可した。これが、ブランドによるライセンス生産のはしりといわれています。後にライセンスはネクタイ、下着、ソックス、アクセサリーと拡大し、80年代後半にはディオールは200を越すライセンスを抱えていました。また、同時にこの方式を婦人服にも応用しオートクチュールだけでなく、アメリカの既製服業者と組んで、ディオールのデザインによるドレスを高級既製服、プレタポルテとしてアメリカでの製造・販売を開始しました。オートクチュールからプレタポルテへと拡大することで、ディオールはファッションを芸術だけでなくビジネスとしても成功させました。

■HERMES(エルメス)

エルメス社の母体になったのは、ティエリ・エルメス(1801年 - 1878年)が1837年開いた馬具工房です。ナポレオン3世やロシア皇帝などを顧客として発展しました。
ティエリの孫にあたる3代目のエミール・モーリス・エルメス(1871年 - 1951年)は事業の多角化に着手しました。1890年代には、馬具製作の技術を基にエルメス最初のバッグサック・オータクロア (sac haut-a-croire)を製作します。1927年に時計を発表しました。さらに服飾品・装飾品・香水などの分野にも手を広げ、それらの製品のデザイン、製造、販売をすべて手がける会社になりました。特に馬蹄柄のスカーフとケリーバッグで人気を獲得していきました。ケリーバッグは1935年に発売されていましたが、当初は「サック・ア・クロア」 (sac-a-croire)と呼ばれていました。後に女優のグレース・ケリーが愛用、特にカロリーヌ公を懐妊し、写真を撮影された時とっさにお腹を隠したのがこのバッグであったことから有名となり1955年に正式に改名されました。
「サック・ア・クロア」=ケリーバッグは本来、サドルバッグ(鞍に付けるバッグ)を婦人用に改良した物です。ケリーと同様の人気を誇るバーキンの名も、当時のエルメス社社長であったジャン・ルイ・デュマ・エルメスが飛行機の中でたまたまイギリス出身の女性歌手ジェーン・バーキンと隣り合わせになり、彼女がボロボロの籐のカゴに何でも詰め込んでいるのを見て、整理せずに何でも入れられるバッグを作らせて欲しいと申し出たエピソードに由来する(なおバーキンの原型はオータクロアであるが、いまやオータクロアをはるかにしのぐ人気です)。

■Chloe(クロエ)

『クロエ』は、マダムギャビーアギヨンとジャック・ルノワールが1952年に設立しました。Chloeという名前の由来は、ロンゴスの古代小説、"ダフニスとクロエにまつわる牧人風のレスボスの物語"を原作とした、バレエ音楽「ダフニスとクロエ」から名前をとったとされています。1963年にカール・ラガーフェルド氏がクリエイティヴ・ディレクターに就任。
ラガーフェルトがデザインしたフローラルの花柄のプリント、磨きぬかれた斬新なデザインは「Chloe」の世界的な評価を高めるに至りました。

■BALENCIAGA(バレンシアガ)

BALENCIAGA(バレンシアガ)は1915年仕立屋を始め、翌年には独立開業をします。倒産することもありましたが、バレンシアガのチーフデザイナーは、ニコラ・ゲスキエール。彼はトラサルディのチーフデザイナーを務めたこともあり、個性あふれる彼の世界を創り上げていると言われています。2001年、バレンシアガはグッチグループの傘下に入ってしまいましたが、バレンシアガよってはじめられた仕立屋さんが起源のこのブランドは今、ザ・ツィギーや、ザ・ファースト等のバッグをはじめ、現在でも多くのファンを抱える女性服の名門ブランドとなりました。

■JUICY COUTRE(ジューシークチュール)

1994年、LAに誕生したジューシークチュール。パメラ・スカイスト=レビーとジェラ・ナッシュ=テイラーの二人が立ち上げたジューシークチュールのコンセプトは「Sexy&Basic」!
カジュアルがもつ着心地の良さとグラマラスな雰囲気を併せ持つのが特徴です。独特な独自のカラーで、トップス・パンツ・ジーンズなど日々の生活に欠かせないアイテムを展開しています。そのフィット感は女性の体をセクシーかつアクティブに演出する完璧感がある。「シャネルのジャケットにも合わせてほしい!!」というジューシークチュールのTシャツやパンツは、マドンナ・ジェニファーロペス・キャメロンディアス・ブリトニー・ヴィクトリアベッカム・ヒルトン姉妹などのセレブリティーが愛用しています。カジュアルであっても長く着られる服を、という考えでつくられるジューシークチュールの服は、長く愛用できます。又、今日ではキュートなロゴTシャツやプリント柄もジューシークチュールの魅力のひとつとなっています。

■Luella(ルエラ)

ルエラ・バートリー(Luella Bartley)はイギリスのストラトフォード生まれです。セントマーチンズでジャーナリズムを専攻、ジャーナリズムだけではなくファッションも学びます。ジャーナリスト、デザイナーなどさまざまな可能性を考慮しつつ、初めのキャリアはジャーナリスト(ファッション誌のエディター)としてスタートしました。
イヴニングスタンダードで実力を伸ばし、イギリスのヴォーグでにヘッドハントされヴォーグに移籍します。その後、ファッションデザイナーになることを決意し、2000S/Sシーズンに自身のレーベル「ルエラ」を立ち上げます。コレクションのテーマは「Daddy I Want a Pony(パパ、ポニーが欲しいの)」以後、毎シーズンコレクションにテーマを与えるスタイルを続けます。
2000年「エル」の新人賞を受賞し注目を集め、2001S/Sシーズンには国際的に認知されました。その後、ルエラは拠点を移すという、大きな決断をします。2001A/Wはミラノへ(ボッテガ・ヴェネタが発表用のスペースを提供)、2002S/Sからは拠点をニューヨークに移しました。このロンドンから飛び出す決断はブランドを設立して間もない「ルエラ」にとって非常にリスクの高いものでした。(しかし、イタリアの生産工房、世界中のバイヤーとの連携が強まり、結果的にはこの決断がさらにブランドを成長させました。)
2002A/Wコレクションには「ルエラ・フォーマルベリー」でマルベリーとコラボレーションでバッグを展開します。これは人気モデルにも愛用され、マルベリーの中でも最大級のヒットとなりました。これを機に2003A/Wよりバッグ、財布などのアクセサリー関連のコレクションも始めます。
ルエラのコレクションの特徴はあまり流行に左右されないもので、ジェニファーロペス、クリスティーナアギレラ、シエナミラーなどセレブに人気のブランド。レオナルドディカプリオとの交際でも有名となったモデル、ジゼルのために作ったバッグ「ジゼルバッグ」が有名です。ルエラ・バートリー自身はデザイナーを続けながら3人の子供を育てるなど、その生き方から女性としての支持も集めています。
2006年、プロエンザスクーラーとのコラボレートラインである「ゴー(Go)」を発表します。同年、エルのファッションデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。2007年、ロンドンに初のショップをオープンします。
2008S/Sからロンドンコレクションに発表の場を移しました。バットマンをアイコンにして台形がたの大きなサングラスに、花柄を用いたキュートで、どこか小悪魔的なファッションで話題となります。

■JUDITH LEIBER(ジュディス リーバー)

40年以上の歴史を持つ“Judith Leiber(ジュディス リーバー)”。エレガントなハンドバッグやイブニングバッグ、アクセサリーなど、職人が1つ1つ丁寧に製作しています。
芸術性を持つ作品として、ロンドンのビクトリア&アルバート博物館に収蔵され、NYのメトロポリタンミュージアム、ワシントンのスミソニアン、LAのMOMA、テキサスのヒューストン美術館などに展示されています。
ケイト・ブランシェット、ヒラリー・スワンク、サラ・ジェシカ・パーカー、ペネロペ・クルスなどもファンとして知られ、1953年からアメリカでは、多くのファーストレディーが夫の大統領就任式に列式する際“Judith Leiberをセレクト。高い信頼を得ています。

■TOD'S(トッズ)

イタリアのDella Valle家が、20年代にシューズの製造をスタートさせました。徐々にビジネスを拡大。現在でもDella Valle家のファミリー企業となっています。もともとDella Valle家の経営するEMA社という社名でしたが、トッズに社名変更しています。
1979年、底に133個のゴム突起を付けた1枚革のモカシンを売り出します。これは非常に軽快でフィット感のあるもので、ヨーロッパを中心に支持を集めます。これがブランド「トッズ」としてのスタートとなりました。その後トッズのグループとしてはホーガン、フェイが新ラインとして登場しました。
トッズの靴の特徴は、多くの工程を経て生産されます。多いものでそれは120の工程を要します。品質のチェック、サンプルを実際履いてもらい、それが履き心地の良いものかなど、チェックを繰り返す。トッズグループの成功の要因の一つに、手作りの職人的な手法をキープしつつ、より効率的に生産ラインを組み立てたことが上げられる。
靴、バッグともに、基本的にトッズのコレクションは正統派で、機能性とそれを失わないレベルのモダンなデザインが特徴。アズディン・アライア、ジャンフランコ・フェレ、クリスチャン・ラクロウ、ロメオ・ジリ、カルバンクラインなどとライセンス契約を結び靴を供給していたこともあったが、現在は特別な例外を除いて、トッズのブランドに集中してデザインを展開している。
1997年、バッグのラインをスタート。日本では97年、新宿の伊勢丹に始めてショップをオープン。3日間で400足以上のの靴が売れた。事業を順調に拡大し、現在はホーガン(HOGAN)やフェイ(Fay)もグループに加えている。
2001年、自動車で有名なフェラーリとコラボレーションで「トッズ・フォー・フェラーリ」というプロジェクト行った。2004年には、表参道に、けやきの樹をモチーフにした世界最大級のブティックをオープンした。
2006年、デレク・ラムがクリエイティブディレクターに就任。デレク・ラムは靴やバッグのデザインはもちろん、トッズでは初めてとなるプレタポルテの部門を、2006S/Sから立ち上げている。(また、デレクラムもトッズと契約し、自身のブランドでアクセサリーラインを立ち上げた。)
また、トッズグループ(Della Valle家)は2007年、エルザ・スキャパレリを買収しており、近々、スキャパレリのコレクションラインを復活させる可能性もある。

■FENDI(フェンディ)

ルネサンス時代から引き継いだ、イタリアならではの職人気質を守っているフェンディ・ファミリー。フェンディの歴史は1925年にエドアルドとアデーレのフェンディ夫妻が、ローマに革製品と毛皮を扱う小さなお店をオープンしたところから始まりました。
その頃アメリカでは、毛皮が大ブレイク中だったため、フェンディはアメリカに向けてクオリティの高い毛皮のコートを発表したところ注目を浴び、一躍名を広めたのです。
その後アデーレの5人の娘たちに経営が移行され、オートクチュール毛皮で得た名声をプレタポルテとして提供し、よりモード的に変化していきます。そして1965年、当時「モード界の帝王」とその名を轟かせた、シャネルのデザイナーとしてもお馴染みのカール・ラガーフェルドをデザイナーとして迎え、今まで備わっていた伝統に斬新さを加えることに成功。その後も姉妹とラガーフェルドの協力により、フェンディは世界的に有名なブランドへと進化していったのです。
1997年にはフェンディ家の3代目にあたるシルビア・ベントゥリーニのデザインにより、バッグのバゲットシリーズがデビューして、世界中で大ブレイク。今シーズンもよりバリエーションが充実し、話題になりました。
さらにたくさん物が入るマンマバゲットも登場。まだまだ話題作をたくさんリリースしそうな予感なので、今後も目が離せないブランドといえるでしょう。

■MOSCHINO(モスキーノ)

フランコ・モスキーノ(Francisco Moschino)は1950年イタリア・アッビアテグラッソに生まれます。14歳から高級仕立屋のイザベラ・モイランディで働き、その後、ミラノの芸術アカデミーに入学して美術を学び、卒業します。
71年からジャンニ・ヴェルサーチのもとで働き、そこでは主にスケッチャー、イラストレーターを主に担当します。ヴェルサーチでは6年間働き、その後の6年はイタリアのブランド、カデットで6年デザイナーを担当しています。
83年、フランコ・モスキーノはムーンシャドー(moonshadow)社を設立。同年初めてのレディースウェアのファッションショー(84年S/Sコレクション)をミラノで発表します。86年S/Sコレクションにてメンズウェアのコレクションを初めて発表。
87年、カジュアルラインのモスキーノジーンズと香水を発表、88年には、セカンドラインのチープ&シック(Cheap & Chic)を発表しました。89年ミラノに初のショップがオープンとブランドは徐々に成長していきました。
94年フランコモスキーノが死去し、ブランドは81年からコンビを組んでいたロッセラ・ヤルディーニ(Rosella Jardini)が受け継ぎクリエイティブディレクターに就任しました。
99年、設立の時からモスキーノの製造・販売を手がけてきたムーンシャドウ社がイタリアのアパレル企業、アッフェ社のグループに買収され傘下に入ります。アエッフェ社はイタリアのデザイナー、アルベルタ・フェレッティの設立したファッショングループ企業です。
2006年にはトリノオリンピックのオープニングセレモニーのためにデザインを行ないます。2008年には、ホテル事業を始める予定です。2007年、モスキーノジーンズのブランド名をラブ・モスキーノに改名、ジーンズがメインでしたが、様々なラインナップを揃えるブランドとなります。